大麻取締法を読む~第一章 総則~
第四条 何人も次に掲げる行為をしてはならない。二 大麻から製造された医薬品を施用し、又は施用のため交付すること。三 大麻から製造された医薬品の施用を受けること。四 医事若しくは薬事又は自然科学に関する記事を掲載する医薬関係者等(医薬関係者又は自然科学に関する研究に従事する者をいう。以下この号において同じ。)向けの新聞又は雑誌により行う場合その他主として医薬関係者等を対象として行う場合のほか、大麻に関する広告を行うこと。
ぱっと見あまりおもしろくない条文ですが、こういった定義とかは法律をなす上で大事なのだろうというのはわかります。簡単に図とかを作っておきましょう。
効率を考えすぎて手がつかないのは、ムダよりムダ。
効率の重要性
のっけから記事のタイトルと相反する見出しですが、しかしながら効率が重要であることは強調しておかなければなりません。
私達の進歩の歴史は効率とは切っても切れないものですし、効率を重視しない企業は業績も残せず、ブラック化も進み、ろくでもない企業になっていくことでしょう。今の私達の生活があるのは、かつての人々が効率を良くしてきてくれた結果です。
個人レベルで効率を重視しすぎるとどうなるか?
しかし効率というものは組織にとっては非常に大事なものである一方、個人にとっては諸刃の剣ともいえるものだと思います。
もちろん、勉強や仕事の際に効率のよさを求めるために、よりよいやり方を考えることは重要です。効率よく仕事をすすめられれば、それだけ自由な時間が増えます。
ところがこの効率という考え方が日常生活の中にまで浸透してくると、普段の生活に枷がかかり、何をやってもつまらないとか、何をするにも時間が気になって集中できないということになりかねません。
このように書いたのは、私が面倒くさがりな人間で、なんにでも効率を求めるような生活をしていたなかでそのようなことに陥ったからです。私は学生の頃から、どうやったら楽に勉強ができるかということをよく考えてきました。勉強を効率よくすすめるために、勉強する以上の時間を費やして勉強法を考えていました。(その割には、特別いい勉強法は確立できなかったのですが……)
大学生になってもその傾向はあまり変わらなかったのですが、面倒くさがりな性格だけはどんどんどんどんひどくなっていき、そしてそれにともなって日常の中でも効率を重視するようになりました。例えば、ドラマは時間のムダだから見ない、洗濯も食器洗いもできるだけ少なくなるようにする……とかいうようにです。
それで自分の生活が充実するなら良かったのですが、充実するどころか空いた時間でぐうたらするばかりで、結局のところ何も生産性が上がっていないことに気が付きました。そのくせ、ゆっくり映画でも見ようかとおもうと、時間の焦りが生じて集中できなくなってしまっていました。買い物なんかも、ネットのレビューをあてにして、自分で試してみようという気持ちがなくなっていました。
ムダを経験してみようと思う
日々の生活の中でムダだな、と思うことが多くなってしまったのですが、それと同時に自分はなんてつまらない人間だろうと実感することも多くなってしまいました。少し、ムダだと思うものにも触れて、効率にとらわれたこの考え方を変えていかなければならないと思っています。